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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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オススメ度 4.7点
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自筆「源氏物語」の「東屋(あづまや)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。現在の今上天皇と系譜がつながっている。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。従って、応永五年とは、書き始めの年である。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。
出品した「源氏物語」は東屋(あづまや)の内容の要旨
『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。大君と中の君の姉妹は、朱雀院(前朱雀天皇)の弟・八の宮を父とする。談奇群書。。卜部氏訳『通辯独学並五大洲地名箋』明治6年 宝玉堂蔵・河内屋真七他刊 明治時代和本 明治初期の外国地名書 地理書 地誌。f#6 特装本 戦前書籍 鮭鱒聚苑 松下高・高山謙治/著 昭和17年 水産社 1500部限定 当時物 /M04。★★蒔絵箱入り 小倉百人一首 百人の和歌 飛鳥時代~鎌倉時代の歌人★★。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。室鳩巣著 国枝松宇補『重訂赤穂義人録補正』(全2冊揃)明治5年静観堂伊六 明治時代和本 赤穂事件 赤穂義士 赤穂浪士 忠臣蔵資料。【洛座】王羲之彙帖大観 10冊 揃い 于右任題 呉昌碩 < 煎茶道具急須中国古美術中国古書漢籍書道碑法帖。紫式部が「東屋」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
「東屋」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節である。」という「白氏文集」の中の有名一節です。)
「自筆原本」
自筆右下の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。
《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
《「背燈隔帳不得語」(燈に背き帳【とばり】を隔てて語ることを得ず)
という漢詩文の落款が押捺されている。》
《浮舟の母、娘の良縁を願う》
《中の君、薫の君に浮舟を薦める》
《山みち(道)》・・・・に、たはやすくもえ思ひ立たてなむ、
とはへりし」と聞こゆ。何はかりの契りにかと思ふは、
あはれになむ」とて、例の、涙くみたまへり。
みつからやは、かしこに出てたまはぬ」とのたまへは、
「仰せ言を伝へはへらむことはやすし。
《第二段 薫、弁の尼に依頼して出る》
「なとてか。
ふか(深)きちかひ・・・・《をやふ(破)り》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」東屋(あづまや)の巻》
《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君との御子・浮舟と薫の君、匂宮の恋物語・自筆「源氏物語」東屋》
《桐壺天皇の皇子・八の宮と中将の君の子・浮舟(大君と中の君とは異母姉妹)の良縁を期待する母君》
《浮舟の母君(中将の君)、中の君に浮舟の庇護を依頼する》
《浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く》
《薫の君、宇治を訪ね新造の御堂を見る》
《薫の君、浮舟への仲介を尼君(弁の尼君)に依頼し京に戻る》
《(尼君)「先日、その母君(浮舟の母)から手紙がございました。
このごろも、粗末な小家に隠れてお暮しなのもお気のどくですから、
宇治の地がもう少し近い所でしたら、そちらへおあずけすれば安心なのでしょうが。大将(薫の君)は、
(薫の君)「誰もがそんなにおそろしがっているような山道》・・・・・・を、このわたしは
よくぞ相も変らず分け入ってきたのですね。
(薫の君)「では、その気の置けない姫君(浮舟)の隠れ家へお便りしてくだされ。
ただ、いまさら京の土を踏むとなりますのもおっくうで。
(薫の君)「どうしてそんな気がねがいりましょう。固い誓願を・・・・《破ってでも
人の願いをお聞き届けになるからこそありがたいのでしょう」
とおっしゃる》
備考・大将殿は権大納言兼右大将で今上天皇と麗景殿女御の皇女・女二の宮を正室に迎えている薫の君。八の宮の兄は源氏の君と朱雀天皇。桐壺天皇の皇子・八の宮の姫君・大君、中の君姉妹と浮舟は異母姉妹である。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《The Eastern Cottage(東屋)》
"And here I am.
All these years I have been coming over
the roads that frighten them so.
Why should it be?
What have we inherited from other lives to account for it?"
As was so often the case, there were tears in his voice.
"Send off a message, if you will,
to wherever it is that she seems to think so safe.
Or might I ask you to go yourself?"
"It would be very easy to pass on a message,
but I am afraid I am no longer up to going into the city.
I do not even think of visiting my lady."
"You must be bolder. If we see that no one knows, then no one will talk.
After all, even the hermits on Atago went to the city occasionally.
And you know it is a good thing to break the most solemn
vow if it means making someone else happy."
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
如果宇治京稍近,思托庇,以求安心。’”薰大将:
“大家都怕走山路,只有我一向不,
常常跋而来。
又:“那,就写一封信,
送到无人注目的小屋中去。”
弁君答道:“要尊意,事甚容易。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。
冬姫は通称。左端の写真は「東屋の巻」末尾の拡大写真。
篆書体の下の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(東屋の巻)MRI 50―53B
自筆二つの印のうち下は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款
「源氏物語」「東屋の巻」主人公・東屋の資料
下記写真は、国宝「源氏物語絵巻」の中に描かれる中の君と浮舟。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
「香煙引到楚香処」(香煙引き到る、楚香の処)の漢詩文の落款が押捺されている。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。上の「拡大断層(MRI)写真」でわかる通り、極めて薄い和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように「源氏物語」の文字が記されております。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一方、アメリカやイギリスでは研究が進み和紙の組成状況を精確に分析・解析をするために断層(MRI)写真が利用されており、今回の出品に際し、「断層(MRI)写真」を資料として出しました。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。実母は近衛家女房(瑤林院)。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
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